不動産への対応 ~ 衰退国家から 人生を守るために
2020/01/22
2018年 (平成 30年)
日本も 予測通り、確実に 衰退国家になった。
私も含めて、日本に生まれ育った 日本人、日本国民は
すべからく 人生を 不動産に 縛られ続けていないだろうか?
たまたま 生まれ育った土地、地域が、
人生に与える影響は大きい。
いや、むしろ、人生そのものを形成する、
と言っても、過言ではない。
日本人は 一生懸命生きることが 美徳と 洗脳されている。
一生懸命の語源は 「一所懸命」
つまり、自分の居る場所、住と、食を司る 農場、狩場、漁場・・・
それを 守ることが 人生の目的で あり続けてきた。
身分階級により、下の者どもは(現在の 一般国民、大衆、庶民)は
上の命令、教えに従わされているのだが、根本は、衣食住。
日本国民の人生において、住こそが、価値観の根源である。
日本の支配層は、その根源に目をつけた。
もともと人間も 生物として 本能的に 雨露をしのぎ、暑さ寒さや、外敵から
身を守りながら、安心して住める場所を 求めて生きている。
その 穴倉なり 岩場の囲いなり、居住する場所が
現代は 家、不動産となった。(一戸建、マンションなど、形は違えど)
人口が増え続けている時代は 不動産と 関連ビジネスは 成長してきた。
しかし、日本は 平成時代の途中から
1945年の 敗戦以来、初の 人口減少国家に転落した。
私自身の 父親も
「借り住まいだと、老後に 住める場所がなくなる」 だから
「自分の家は 自分で買う、所有する必要がある」
と考え、ひたすら働いて、不動産を買った。
私は たまたま 親が買った不動産に 住み続けている。
母親や 妹たちと 家族関係がうまくなかったので
陣取り合戦を繰り広げた。
しかし・・・・・ 本質に気付いたのは、最近である。
俺の人生は 不動産のために 生きているのか?
大半の日本国民は 衣食住の「住」を
マイホームとして ローンで買うか?
賃貸を借りて 住むことになる。
ほとんどは 親がたまたま住んでいた場所、自分が育った場所か?
就職して 暮らすようになった場所だろう。
どこかに勤め始めたら、通勤圏内に住む。
定年退職まで 勤めるなら、通える範囲に 家を買う。
ローンを組んで。
これが 日本国民の 理想の姿とされた。
しかし、今や、勤務先が 定年まで勤めようにも、
明日は どうなるか? わからない時代となった。
ダーウィンは 「種の起源」の中で
こう述べている。
「強い者が生き残るのではなく、賢いものが 生き残るのでも、ない。
生き残るのは 変化に対応できた者だけである。」
いわゆる、進化論の話であるが、
気候の変化、環境の変化、時代の変化 (今なら 機構の変化?)
それに対応する人生を 考えている人々は
果たして どれだけいるのだろうか?
私には、日本国民の中では、ごくごく少数派だと思える。
不動産に対する考え方も、そろそろ変えるべき時代だろう。
不動産は 相対取引の 最大のものだ。
いかに、数千万円、数億円、数十億円の物件といえども
「売買が成立しなければ 単に 価値を金額にしたものに過ぎない」
地価が上がれば、自分の不動産の価値が上がって、資産が増えた・・・
みたいに思うだけであって、生活は変わらず、税金が増えるだけだ。
そのままあの世に行ってしまうと、相続の問題が残ることになる。
日本政府の 税金という仕組みは、実に巧妙、頭が良い。
ズル賢さの究極だ。
人間、どこかに住む。
その住まいに、勝手に値段をつけて、税金として
ショバ代を巻き上げる。
それが、固定資産税だ。
賃貸住宅に住む人々は、オーナーの固定資産税を 間接的に払っているのだが、
そんな意識は ほぼ無い。
ビジネスオーナーと、自営業、経営者くらいで、
サラリーマン、被雇用者は 考えもしない、といったほうが、正解か。