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2012年(平成24年) 2月23日 父の旅立ち ~ 白木の位牌のまま 自宅保管

      2021/10/31

昔、十条・天金に通っていたころ、
十条・ランチハウスのコックだった 浜田氏は
親父の葬式を盛大にした。

私と親父は、親身に その話を聞いて、
それをきっかけに、浜田氏のランチハウスにも 行くようになった。

親父は ペットショップでも、なじみのお客さんたちとは

「死んでから金、かけてくれてもうれしくない。
葬儀屋が喜ぶだけで、遺族の自己満足に過ぎない。
そんな金、あったら、生きてるうちに、美味いもん、食わせてくれたほうが
はるかにうれしい。
死んだら、痛いもかゆいも関係ないから、
金はできるだけかけない、死体は、荒川に投げ込んでくれればいい」

なんて 笑って話していた。

親父は、出雲崎に学童疎開して 貧しくひもじい思いをしてて、
敗戦後の食糧難にも 苦しんだので
美味いものを食べること自体が、人生の楽しみの1つだった。

だからこそ、戦後の復興、経済成長で 豊かになって、
家、クルマを買ったあとは、美味いものをしこたま、食うのが
親父の楽しみだった。

私は
「確かに、死んだら痛いとか、苦しいなんて、感じないだろうけど、
荒川に投げ込む、なんて、そりゃ、死体遺棄罪で、俺が逮捕されちゃう。
長男逮捕なんて、シャレにもならないから、町屋にはとりあえず、行くよ。」
(東京も北部、東部は、だいたい町屋斎場で、私の知る範囲の田中家は
すべて最期は 町屋斎場で火葬している)
と答えていた。
まじめな話は、親父は、死んで焼かれて灰になったら、
川や海にまいて欲しい、と言っていた。
今でいう「散骨」だ。

当時、ようやく 「葬送の自由」が言われ始めていたか?
たぶん、それ以前の、
「嫁は 旦那一族のお墓に入る」のが 常識のように思われていた時代だろう。

葬式に金をかけることを、もったいない、
大阪なら 「アホちゃうか?!」
と言いそうな感覚を、親父は持っていたのは、
確かだった。

実際、私は 脳梗塞で倒れた 2000年1月25日から
再発、再入院となった 2009年2月26日までの
9年1ヶ月 自宅で介護し、
その後、入院、介護施設に入って
2012年2月23日に 他界するまで
トータル 12年1ヶ月
介護した。

なので、親父の遺志を遂行するのは、私しか、いない。

その親父が、
「墓などいらん!
川とか海に遺骨をまいてくれればいい」
「やっちゃんの嫁さん、子どもの代の後は、
墓なんて、どうなるか? わからない。
入谷の実家だって、鬼子母神だから、檀家で
かなりお布施を払って お墓を維持しているはずだ。
もう、そんな風習は、お父さんの代までで結構、
子孫に負担になって、日本国中、墓場だらけの片棒など、
担ぎたくない!」
と言ってたのだ。

葬式後 入谷の実家から
「入谷鬼子母神の檀家、高いから、正直、止めたい。
お父さんをお墓に入れないでほしい」
と言われた。

夫婦円満、子宝に恵まれた、まともな(?)家族だったら、
立腹するかもしれないが、
親父とも、そんな話をしていた私にとっては、
むしろ渡りに船、幸いな話だった。

さんざん、親父に 教育費から何から 出してもらって育ててもらった妹たちなんて、
親父の介護となったら、完璧に無視といってもいいくらい、
冷酷スルーだった。

どのみち、墓守は私しか、いなくなるし、
私の後は、墓が風化するだけになる可能性が 限りなく高い。

いや、名古屋の妹と、私は、
お袋より、親父と話が合うほうだったから、
名古屋の妹には、墓は作らない、と明言していた。

葬儀後、植物葬の資料も取り寄せたが、
なんか しっくりこない感がした。

当時、出雲大社・相模分祠に 友人たちと お参りしていたこと、
神社の植林事業「千年の森プロジェクト」にも参加して、
駐車場の森の植樹もしたご縁もあり、
念のため、植物葬について、
神主だった 佐藤拓也氏に相談したが

「そんな、気楽に考えていい問題ではない・・・」
みたいな感じの、少々、手厳しい感覚の返事だった。

で、出雲大社サイドは
これから 植物葬の希望をどうするか?
という段階で、未定とのこと。

ならば、無理して頼むべきではない、
と判断した。

2021年の今となっては、
佐藤氏も、神主を辞して 独立起業したので
植物葬にしなくてよかった。

海洋散骨を検討しているうちに、
高崎・達磨寺の住職が同級生、というご縁で
お寺を手伝ってバイトに入っていた、常見さんと知り合った。

常見さんは、おふくろさんの遺骨を
お寺に預けているので、
お寺に行くたびに、供養しているような感覚とのこと。

とはいえ、
正月の初詣の時期や、観光客でごったがえすシーズンに、
仕事を頼まれると、断れない、
という話も聞いていた。

毎年、前橋に行くから、達磨寺にも、そのときに回ればいい、
と思っていたが、そういう事情を聞くと、
かえって、遺骨をここに預けたり、植物葬にするのも、
むしろ、私にとっては、未来の束縛になってしまうかも、
とも思った。

また 散骨の前に、遺骨は、細かく 粉骨する必要があるが
(法律で 直接、遺骨をまくのは 死体損壊に抵触するらしい)
2012年当時、戸田斎場で 5万円+消費税(当時、5% 2500円)で
52500 円 と言われていた。

葬儀業界は、不幸、悲しみの中、判断力が衰えているスキに
高額請求になるのだが、
それにしても、公的葬儀場の 戸田で この価格は、高いと思った。

間違いなく、親父が生きてたら

「もったいない!! そんな死に金を出すくらいなら、
一緒に、旅行だって行けるじゃないか!
うまいもん、食べよう!」

という金額だ。

川辰のうな重 22 人前・・・
十条・天金に 10回は通える・・・

南千住の尾花だって 5500円だから
何人前だ??

親父が好きな場所が 千葉・小湊の 誕生寺だったが
当然のことながら、ここにお墓を作る気持ちもなかった。
なぜなら、親父が嫌がっていた
「死んでから、お金がかかる」パターンになってしまうからだ。

親父の遺志と、さまざまな周辺環境を考慮すると、
海洋散骨がベストで、あとはどう、実行するか だ。

そして、海洋散骨するなら、
親父が好きな 誕生寺の近くの風光明媚な 鯛の浦と、
2004年に、連れて行った ハワイの
私が初めて、海外で泳いだ ハプナビーチの 沖合い、
あるいは、親父を、砂地用特殊車椅子に乗せ、
海亀を見た、ケアラケクア湾の沖
の 2箇所だ。
(ハワイでは、岸から 3マイル以上、沖でないと、散骨は不許可)

2009年の ハワイの航空券は、ハワイ島、オアフ島、
両方に行って、7万円くらいだった。

戸田斎場で 粉骨 52500 円は 航空券に比べても 割高感がある。

ハワイで海洋散骨、という業者も 国内にあるが、
国内で粉骨 → 水溶性の袋に詰める → ハワイ現地に持参、海洋散骨
というパッケージで、だいたい 15万~ 20万円以上、
旅費に上乗せしなければならなかった。

粉骨は いずれにせよ、必要・・・・
となれば、
旅費が 何人分になってしまうのか?
頭を抱えていた。

かくして、親父の遺骨は、白木の位牌とともに、
自宅に置き続けていた。

 

( 続く)

 

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 - 4 葬送の自由という未来

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