マネー職人 Jimmy Cronin の 下克上 トレード日記 ~ 500 ドル から億り人への記録

海外投資 同時多発破綻から生還した 50代男が 人生を大逆転させた記録

*

初めての パソコンから 現在まで

 

当サイト管理人  チャレンジャー01(ゼロワン)が

パソコンを手にするに至るお話

ちょっと長いので、お時間のあるときにどうぞ。 

  ※ パソコンを買って、最初のインターネットの買い物(?)は、

フォスタープラン(現 Plan Japan )への寄付でした。そのときの、スリランカの child ↑

 

 

前回の東京オリンピックの年、1964年に生まれた私は、子供時代、学生時代を、

ドップリと 昭和の時代の中ですごしました。

今と違って、まだまだ 貧乏子沢山の家も多かった時代、

ご多分にもれず、私も 4人兄妹の長男として、育ちました。

昭和30~40年代生まれは、けっこう 3人兄弟くらいは 多かった記憶がありますが、

4人以上は、やはり少数派でした。

同級生で 9人兄弟がいて、兄弟数ダントツはこの人、

次は、私を含め、数人が 4人兄弟でした。

 

子どもの頃(1970年代)、マイコン(マイクロコンピューター)が 一部で流行しましたが、

兄妹が 4人ともなれば、当然、私だけが、マイコンなどという、そんな高価なものを親に買ってもらう、

など、子ども間の平等に反する、とんでもないことでした。

 

インベーダー・ゲームがはやったときも、母親からは

「そんなもので遊んでばかりいたら、勉強の邪魔だ。絶対許さん!」

と、ゲームを諦めるか?家出するか? の 二者択一を迫られ、

弱虫で体力虚弱なガキだった私は、当然、親に逆らう気力など無く、

ゲームを諦める、という選択しか、ありませんでした。(1970年代後半)

ほんと、子ども時代は、涙が枯れるくらい、悔し涙を流しました。

子ども時代の夢は 「早く大人になること」でした。

 

高校に入った 1980年(昭和55年) たまたま親父が 知人のツテで

けっこう程度のいい、オリベッティの タイプライターを手に入れて来て、

「これからの時代は、こういうものも使えた方がいい」

と 勉強道具ということで、プレゼントしてくれました。

これが、現在も、私の ローマ字入力の基礎になっています。

 

学生時代はこれで、好きな音楽のカセットテープの アーティスト、曲名を打って、ミュージック・ライブラリーを作っていました。(※1 )

実は、受験ですっかり英語が苦手になってしまっていて、

試験では 英語は ほぼ赤点ギリギリという、成績不振でした。

が、タイプライターで英文を打つのは 好きでした。

当時から 変わり者でしたね。

 

高校時代に、ようやく 年賀状配達のアルバイトはしましたが、

1988年 社会人になっての 初めての感動は

「ようやくこれで、自分のお金で、自分が買いたいものを買える」

「親の了解を取らずに、必要なモノが買える」

という 解放感でした。

 

子どもの頃からの夢、「早く大人になる」が、ようやく実現したのは、このときで、

「待ちに待った大人になれた」という意味で、

成人式よりも、社会人になった時の方が 断然、印象に残ってます。

 

余談でした。

 

その後、1989年、富士通の ワープロ(ワードプロセッサー) を購入。

当時 「親指シフト」なる 富士通の特許のキーボードもありましたが、タイプライター愛用人間の私は、ローマ字入力しかできず、当然のことながら、普通の JISキーボード版(現代のパソコンと同じキー配置)を選択。

まもなく、日本のノートパソコン初代 東芝ダイナブック (Dynabook J-3100)が登場し、

欲しかったのですが、月給 10万円だったので、全く手が届かず、購入する勇気もありませんでした。(※ 2 )

 

しばらく ワープロを使い続けていましたが、ワープロは メーカーが違うと、フロッピーディスクのデータを読めず、もちろん書きこみもできないので、不便で仕方ない。職場の人に データを渡したり、もらったり、すら難儀でした。

そんな中 1995年、Windows 95 が登場し、あっという間に、日本のパソコンは、研修所のパソコンも含めて、一気に Windows 95 のマシンに変わりました。

もちろん、当初は 月給の○倍、みたいな 高価品で、私には手の届かないシロモノでした。

 

しかし、パソコンなど、機械というものは、自分が操作してみないことには、身につけることなど、到底無理です。

ピアノの練習用の 紙鍵盤なら、まだ指の動きくらいは覚えられないことはないですが、

パソコンは、キーボードを打つだけでなく、実際に触れて操作してみなければ、覚えられないものです。

 

そういう意味では、水泳など スポーツと同じですね。

いかに教本を読んでも、理論を理解したとしても、実際に 身体で覚えるしか、ないのです。

パソコンをなんとしても 手に入れて、使ってみないことには、

操作できるようになる、身に着ける、など、夢のまた夢・・・・

そんな悩みを感じていたところ、富士通に勤めていた友人から、朗報が届いたのです。

 

「今度、Windows 98 が出るから、うちの会社のパソコン、また新しいのに、総入れ替えすることになったよ。パソコン、作っているメーカーだから、真っ先に 新しいのは導入するんだ。で、Windows 95 マシンを処分するから、『欲しい友人がいたら、譲ってもいい』と会社から言われてるんだ。最低 10万円以上なら、ということだから、10万円でどう?」

 

当時、ノートパソコンは、高価なシロモノで、新品だと 40~50万円など当たり前。

今のように、ヤフオクなど、インターネットの取引が個人でできる時代では無かったし、

スーパーやデパートの「売ります、買います」掲示板や、専門雑誌の 「売ります、買います」コーナーでしか、

個人間の取引は ほぼ無かった時代でした。(私の記憶では)

 

何よりも、その友人は、メーカー勤務だし、パソコンにも当然、慣れている。

わからなかったら、聞ける。

「ボーナスで 一括払いでいい」とのことで、まさに「渡りに舟」

私はついに、人生初のパソコン 「シャープ・メビウス」を手に入れたのです。

 

数年、これを愛用していましたが、とうとう 2003年、

この メビウスが、 データを読み書き、保存ができなくなってしまいました。

で、急遽、新しいパソコンを調達。

 

とりあえず、シャープ・メビウスを使いながら、だいたい どのくらいの性能、機能があればいいか? が わかってきたので、次のパソコンは、自分で選びました。

 

Windows XP マシンは、まだ 20万円以上の機種がゾロゾロだったので、まずは、パソコンのカタログを、あちこちで集めてきて、スペックをチェック、(※3)

いろいろ見て回って、東芝ダイナブック EX522-CDET を購入しました。

 

まだ パソコンが高価な時代で、しかも ノートとはいえ、自宅で インターネット回線をつなげるのが当たり前の時代。

けっこう重いし、ACコードでないと、長時間は使えなかったので、ダイナブックは自宅用でした。

 

そしてその後、昔 おぼろげながら、あこがれていた SOHO への思い、今でいう ノマドワークですが、持ち運び用のパソコンも欲しくなって、EPSON の BTO 機種 ENDEAVOR も、購入しました。(※ 4)

この機種は、Wifi 装備だったので、海外に行くときは、持参してました。

国内では、FX取引などでも 愛用していましたが、ある日、立ち上がらなくなりました。

 

修理見積もりをとったら、52500円(当時は 消費税 5%。修理費 5万円)。

14万円くらいで買ったパソコンの修理費が、5万円か~  (>_<)

 

修理すべきか? 悩んで、友人と話していたら

「ひょっとしたら、その値段で 新しいのが買えちゃうかも」

との話題になり、早速 調べました。

 

そして、税込み、送料込みで 4万円の新品!

15.4 インチの レノボのノートパソコンを見つけ、主要諸元表を見たら、

「この性能なら、ぜんぜん問題ない」と判断、即購入しました。

これが 現在も愛用中のパソコンです。

 

【注釈】

※ 1   当時、音楽は、レコードとカセットテープが主流。

自分で録音できるのは、カセットテープでした。

CDが 初めて市販されたのは、1980年、SONY の CDP-1 という機種で(CDプレーヤーの第1号、という意味)当時の価格が 168000円でした。

大卒の初任給が 10万円いかない時代だったので、まさに最先端技術の 高級品でした。

 

※ 2  TOSHIBA J3100SS

東芝が日本で市販した、ノートパソコン 第1号

今も使われている 「ダイナブック」の名称は、この機種から。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF_(%E6%9D%B1%E8%8A%9D)

 

※ 3   パソコンの性能は、カタログの 最後の方のページ「主要諸元表」で、

CPU, メモリー、ハードディスク容量など、いくつかのポイントを見て、

今、あなたが使っているパソコンと、比較すれば、だいたい見当がつきます。

TOSHIBA EX522-CDET  当時のカタログ は こちら  ↓

https://dynabook.com/pc/catalog/dynabook/catapdf/030912ex.pdf

15インチの見やすい画面、 CPU は、Celeron 2.2GHz, 内蔵HDD 60GB

今でも 普通に使うには、問題ない性能まで すでに 性能アップしていました。

 

※ 4   BTO

Build To Order の略。メーカーが いくつか、パーツの組み合わせを用意し、

お客さんの、組み合わせの希望に応じて組み立てる、というスタイルのパソコン。

メーカー既製品は、何かといろいろなソフトが入っていて、正直、「こんな機能、いらないよ」

という意見は、多数あります。(当時も ありました)

いらない機能を捨て、必要な部品にお金をかけて、予算と性能のバランスを、いかに自分の使いやすい形にするか?

という発想の販売形式で、使いなれてきたユーザーに 人気のスタイル。

CPU は Intel にこだわりたい、HDDは 100GB欲しい・・・・

など、選択肢はなかなか豊富でした。

これを 世界中で展開したのが DELL 社です。

日本では、今も生産を継続している、NEC, EPSON などが 有名です。

(EPSON は、プリンターでは、CANON とシェア争いしている 2大メーカーの1つですが、BTO パソコンも、なかなか コストパフォーマンスはいいです。)

 

公開日:
最終更新日:2017/03/31

Translate »